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気の光

 

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 夜中にまぶしくて吉本ばななさんが目を覚ましたら、いっしょに寝ていた猫が光っていた。これは現実のこと?それとも夢の続き?そんな議論はどうでもいいことです。光る猫にいやされて気持ちがやすらぐ。そういう心の奥底からわいてくるものこそ大切にしたいものです。     

~~~~  そういうすごいことに比べたら、お金のことだとか人間関係の悩みに時間を割くことがもはや冒涜に思えてくるくらいだ。こんなふうな奇跡が毎日待ち構えているのに、見ようともせず耳をふさぎ、あえて苦しんでいるのが人間というもの。  夜中の猫 : 吉本ばなな著「イヤシノウタ」新潮社から引用  ~~~~

 健康とは、光り輝くことだと思います。レノが私に笑いかけたときにレノの頭や背中から無数の光の玉が飛び出したり、治療した後の患者さんの体が光に包まれたり、そんなふうに、命あるものは光を放ちます。でもその光は、網膜で感知できる可視光線とは異なるものです。  私は20年以上前に網膜の病気で失明して、今は光を感じることができません。部屋の電灯が着いているのか消えているのか、電灯に目を近づけて電源を入れたり切ったりしても全くわかりません。網膜が光を感知できないのだから視界は真っ暗闇だと思うかも知れませんが、意外にも私の視界は光に満ちあふれています。私が見ているその光というのは、外界の光とは無関係なもので、病気で変性した網膜が無秩序に発している活動電位によるものです。私の網膜から発する無秩序な活動電位が視神経を伝わってゆき、最終的に大脳皮質の視覚野に投射されて光が見えるような感覚が生じます。ですから私が感じる光は、外界からの光とは無関係な幻のようなものなのです。  このような光は、正常な目の人でも感じることができます。例えば、眼を閉じた状態で眼球を軽く圧迫して網膜を刺激すると、光が眼に差し込んでいないのに光の感覚が生じます。あるいは、暗室内で気持ちをゆったりさせていると、雲のような光・小さな星のような明滅・青や緑や黄色などの淡い色彩・格子状の光などが見えることがあります。このような感覚は「眼内閃光」とか「内部視覚」と呼ばれています。  私は失明した当初から光を感じていましたが、それは変性した網膜が発する無意味な幻だと思っていました。こんな光の幻に惑わされていたのでは正確な診断や治療はできないと考えて、治療中はその光を意識から遠ざけるようにしていました。しかし、哲学者の中沢新一氏の著書に出てくる「内部視覚:Entoptic」というものに出会ってから、光に対する私の考え方は変わってゆきました。     

~~~~  タスマニア先住民が描いた図形・旧石器時代の洞窟壁画・ケルト遺跡の文様など、世界中から発見される不思議な模様は、内部視覚から出現してくる光を幾何学的なパターンとして表現したものである。  このような光の模様は、現在ではアマゾン川の奥地の先住民の間に残されていて、彼らは幻覚性植物が誘引する内部視覚において光現象を体験している。  20世紀になると化学的研究が行われるようになり、電気的刺激によって出現する内部視覚の光の模様は、アマゾン川先住民が見る光の模様とよく似ていることがわかった。  アマゾンの先住民や光の模様を洞窟に描いた旧石器時代の人々は、内部視覚の光をスピリット(精霊)とのコンタクトの兆しと解釈し、現代の生理学者たちは視神経を伝わる活動電位だと解釈したのだが、どちらも内部視覚が心の活動の底に触れているという点では一致している。  心の活動の底の部分がスピリットとの接触場所であり、スピリットの力の源泉である銀河の空間だと古くから考えられていた。  (以上、中沢新一著「神の発明」講談社から抜粋して要約)     ~~~~  

 銀河の空間がスピリットの力の源泉であるとするならば、内部視覚による光は生物のエネルギー源である「気」の輝きだとも解釈できるのではないでしょうか。目の内側で発する光を無意味な幻視だとして捨て去るのか、意味あるものだと解釈して現実の生活に取り入れていくのか、解釈次第で光の価値は異なってきます。私の網膜は外側からの光を感知することができないのだから、目の内側から発するこの光は意味のない光の洪水のようなものです。でもその無意味な光をより分けていくと、川底の砂の中から砂金が見つかるように、意味ある光を見出すことができると私は思っています。  その光はいつも治療中に現れてきて、鍼を持つ私の手元に集まり、さらに患者さんの体表を流れてゆき、患部を包み込んで輝きを増します。それを何千回も経験するうちに、幻視や錯覚だとして無視することができなくなってしまいました。アマゾンの先住民や旧石器時代の人々が精霊との交流や銀河宇宙との同化の印だと解釈したように、治療中に見える光は生命の源である気が輝いているのではないかと私は考えるようになりました。  現代社会には、緊張・痛み・苦しみ・憂うつ・無気力が蔓延しています。鍼灸治療により、体を流れる気がより美しく輝くようになれば、リラックス・安らぎ・よろこび・活力がよみがえるものと私は確信しています。

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