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奏玲通信 : 室長の健康アドバイスアーカイブ

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室長の健康アドバイス (奏玲通信2011 冬号より)

癒えるまでの道

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 人は様々な出来事を積み重ねて心身の成長と成熟を遂げてゆきます。経験とは、出来事に出会うこととか、能動的にふるまうことだけではなく、そこには他者からの働きかけを受けたり、苦しみを受けるなどの受動的な事柄も含まれます。このようにして、人は現実がもたらす様々な障害の中をあちらこちらの壁に突き当たりながら生きてゆき、経験を自分のものとして獲得してゆきます。

 ギリシャのことわざに「苦しみを受けたものは学びがある」というのがあるそうです。ここには人が経験によって学ぶというのは、何かを体験することだけではなくて、人生において被る苦しみを自分のものとして受け容れることなのだということが示されています。

 人が生きていくうえで、病は大きな苦しみとなることがあります。明治初期の漢方医 和田啓十郎は病について次のように述べています。

  「…もし、病毒が人を冒すとこれに対して反応作用をおこして抵抗しようとする。その反応作用は、発熱・喀痰・嘔吐・下痢・化膿・下血などの症状として現れる。そのようなものを人は「疾病」と呼んでいる。疾病というのは、病毒に対する自然治癒の反応作用であり、病になるために症状が出るのではなくて、病を癒すために症状が出るのだということを知らなくてはならない」(和田啓十郎「位階の鉄槌」から意訳して引用)

 出ている症状というのは、身体が病毒と戦っていることの現れであり、自然治癒力が働いていることの証です。病苦の峠は健康を呼び戻すために通らなくてはならない道なのです。医師や鍼灸師は自然治癒力を助けるために、薬や鍼灸を用いなければなりません。自然治癒力が十分備わり病毒と対抗する力が十分であれば、病苦の峠越えはそれほど困難なことではありません。

 鍼灸は自然治癒力の維持・向上にとても良いと思います。私もお手伝いしますが、やはり一番大切なのはご自身の日々の積み重ねです。これから年末に向けて慌ただしくなってきますが、自分の心と体をいたわる気持ちを忘れないで過ごしたいものです。

室長の健康アドバイス (奏玲通信2011 秋号より)

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痛むところを「冷やす」方がいい場合と「冷やさない」方がいい場合

 打撲や捻挫などの直後は、組織損傷によって形成されるプロスタグラシン(発痛物質)の作用によって、「熱感・発赤・腫れ・じっとしていても痛む」など、急性期の炎症症状が現れます。そのような場合は、まず第一に安静にしてなるべく早めに、2時間から3時間以内に限定して、氷嚢や冷湿布で冷やしてあげると効果的です。

 お医者さんが出してくれる冷湿布は、患部を冷やす成分に加え、インドメタシンやケトプロフェンなどの消炎鎮痛剤が配合されているものが大半です。この消炎鎮痛剤はプロスタグラシンが体内で作られるのを抑制して、熱感や腫れ痛みを鎮める効果があります。その反面、手足の冷え、・じんましん・喘息の誘発などの副作用を引き起こす場合があります。

 腰や関節が痛くて湿布薬を張っている方が治療室に来られますが、「湿布薬の効果を感じない」と言われる方が少なくありません。そう言われる方にいつから痛みがあるのかたずねると、「数日前から」とか「何週間も前から」中には「もう何年も痛みが続いて…」と話される方が意外と多いのです。

 急性期とは受傷してから72時間(文献によっては48時間)以内のことを言います。その時期を過ぎている慢性の痛み、冷え性やストレスによるこりや痛みというのは、患部が冷えていて血行が悪く、筋肉や腱が固くなっている状態で、急性期の炎症とは異なる状態なのです。

 そのような状態の時に、患部を冷やし続けたり消炎鎮痛剤を使い続けると、かえって回復を遅らせてしまうことになります。むしろ患部を冷やさないようにして、血流を良くして、新鮮な酸素や栄養を供給してあげる必要があるのです。そうすれば自然治癒力(自ら治る力)の働きによって、コリや痛みが徐々に緩和していきます。

 古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、「病気を治すのは患者自身が本来持っている自然治癒力である」と語りました。東洋医学においても、気の流れを整えて人間本来のあり方を取り戻せば後は自然に治っていくという「無為自然」の考え方が根底にあります。私も「患者さんの自然治癒力を引き出す」ことを常に念頭において治療にあたっています。

 

 

室長の健康アドバイス (奏玲通信2011 夏号)

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更年を生きる

 更年期というと、40歳代後半くらいからの女性に特有なものとされていますが、必ずしもその年代に限られるものではなく、また男性にも更年期はあると考えてもいいと思います。だれでも一生のうちには、肉体的な変化をする時期が何回もありますし、社会的環境の変化によって心と体が影響を受ける時期もあります。そのようなものも更年期と呼んでいいのではないでしょうか。

 2千年前に書かれた『黄帝内経』(こうていないけい)という東洋医学の本には、人の成長・成熟・老いの過程についての記述があります。それによると、女性は7年ごとに男性は8年ごとに、心身が大きく変化する更年の時期が訪れるというのです。そして、 それぞれのときに応じた無理のない生活と養生法をしていれば、健康的な人生を送ることができると説かれています。

 そう考えてみると、子どもにも更年期があるといえるでしょう。離乳食を食べ始めて歯やあごが発達し、つかまり立ちをし始めたりすると、急速に知能が発達して、いろいろな物事に興味を持ち始めます。その時期に、夜泣きが多くなったり、人見知りをするようになったり、些細なことが気に入らなくて、激しく泣きじゃくることもあります。そのような赤ちゃんの行動を「疳の虫」と呼ぶこともありますね。あるいは、小学校に入学して体は大きくなってきたのに、相変わらずおねしょをしているというのは、その子にとっての更年期といえるのではないでしょうか。早送りのフィルムのように心と体が変化する思春期は「心身の更年期」といえるでしょうし、進学して5月病になりやすい時期や、就職や退職する時期など「社会的更年期」ともいえるでしょう。

 このように、更年の時期は社会生活をしている私たちには数年おきに必ず到来するものなのです。これは、高い飛躍を控えたチャンスの時期でもあり、より深みのある人生へのチェンジの時期でもあります。その反面、心身のバランスをくずして、病気になりやすい時期でもあるわけです。「更年を恐れるなかれ!」鍼とお灸で全身の気の流れを整えて更年期を健康的に心豊かに過ごしましょう。

 

室長の健康アドバイス  (奏玲通信2011 初夏号)

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 ロハスへの道

 最近、ロハス(LOHAS)という言葉を時々耳にします。これは「環境と共存しながら健康的で無理のない生活をし続ける」という意味の英語の頭文字を取ったものだそうですが、古代中国においても同じようなことを考える人たちがいました。道家の根本思想を説いた『荘子』という書物には、次のような寓話が記されています。
~~ある日、南海の帝と北海の帝が中央の帝の池でめぐりあった。中央の帝はこの二人を手厚くもてなした。そこで二人の帝は中央の帝にお礼をしようと考えた。
人間には目と耳と鼻と口という穴があいている。しかるに中央の帝にはそうした便利なものがない。せめてもの恩返しに、目と耳と鼻と口の穴をあけてやろうと思いつき、二人は穴をあけてあげた。数日後に穴が完成したときには、中央の帝は死んでしまった。~~

 南海の帝と北海の帝は、知識の神を象徴しています。それに対して中央の帝は、混沌にして優大な大自然を象徴しています。中央の帝をそのままにしておけば、そこには悠遠の生命があったはずなのに、おせっかいな知識が命を縮めてしまったわけです。

 引き算をしたら、案外うまく行くこともあるものです。有益なことを一つ始めるよりも、無益なことを一つ減らした方がうまく行くこともあるのです。道(タオ)に目覚めた人は、余計な知識をどんどん減らして行き、最後には無為の境地にたどり着きます。そして何ものにもこだわらず、あるがまま自然に生きられるようになります。健康のために、あれもこれもと付け足すのではなくて、余計なものを減らしていった方が、より自然で無理のない健康な状態に近づくこともあります。そういうのも、道の生き方なのかも知れません。
 
 ところで、オーストリアのツヴァイテンドルフ村というところは世界一安全な原発があるそうです。30数年前に建設されて以来、住民投票で半数以上が反対したため、一度も稼動することがありませんでした。それが数年前に、太陽光パネルを備えた太陽光発電所に生まれ変わったのです。オーストリアの人たちは引き算をすることによりロハスへの道を確実に歩んでいるのです。
 
 

 

室長の健康アドバイス (奏玲通信2011 春号)

画像 424.jpgとことんこだわって○(マル) 潔くあきらめるのも○(マル) 大切なのは自分の中で緩急を持たせることです。

 「こだわる」という語は「些細なことに心がとらわれて進展できないでいる」という意味がありますが、辞書を見ると「(いい意味で)徹底的に追求する」という意味もあります。例えば『こだわりの逸品』となれば、お取り寄せしたくなるような、肯定的な意味もあります。

 「あきらめる」という語は多くの場合「諦める」と書きます。これには、「仕方がないと認めて受け入れる」という意味があり、断念するときなどに使われます。少し消極的なマイナスのイメージがありますが、果たしてそうでしょうか。

 私が今回何を言いたいのかというと、「人の生活を100パーセントこだわり続けて生きていくことは不可能である」ということです。例えば、物事に熱中することを「寝食を忘れて」といいますが、そんな生活を毎日続けていたら、人はやがて死んでしまいます。でも、仕事でも趣味でも、自分にとって大切なものにはそれこそ寝食を忘れて打ち込むことはすばらしいことです。要するに「こだわる」ためには大変なエネルギーが必要です。ですから、こだわる必要のない部分ではエネルギーを温存するエコな生き方が必要になってくるのです。

 ゴムを手に持ってみてください。引っ張ると伸びますね。そして力を緩めれば元にもどります。でも引っ張り続けたらどうなると思いますか?やがて裂けてきて、切れてしまいます。こだわって生きているときはゴムを引っ張っている状態だと思います。ですから、時々元にもどす、緩めてあげないといけないのです。

 緩めるとは、ぐうたら生きることではないのです。自分にとって大切なものによりエネルギーを傾けられるように、自分のまわりを風通しよく整理していくこと、それには「あきらめる」潔さが必要ですね。

 辞書を引くと「あきらめる」にはもうひとつあって「明らめる」これは、「事情を明らかにする、気持ちを晴れやかにする、心を明るく楽しくする」という意味が出てきます。勇気を持ってあきらめて!!そうすれば自分にとって大切なものがもっと鮮明になって、エネルギーが注ぎやすくなります。

 春から気持ちを入れかえて生きてみませんか?

 鍼灸治療の目的は「気」の調整です。気持ちの入れかえがうまくいかない、くよくよしてしまう…そんなときにもお役に立てると思います。  

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